山形を歩いて目につくものに「湯殿山」の石碑があります。山形市史で調べると、山形市にある湯殿山の石碑の数は291基で、他の石碑と比較しても断然多く、山形の人々の湯殿への篤心と関わりの深さが察せられます。

  出羽三山の総奥の院であり、秘所であった湯殿の信仰は、山形だけでなく、東北各地、そして、越後や北関東まで広がり、江戸時代の丑年御縁年には参詣者が15万人もあっと言います。

  湯殿は、何故このように全国有数の霊場となったのでしょう。それは、日本人の基底にある信仰心と強く結びついていたからだと思います。

  日本人の信仰心の基底には、二つの柱があると言われています。一つは「自然崇拝」であり、もう一つは「祖霊崇拝」です。そして古来、日本人の自然崇拝の象徴は、神への信仰となり、祖霊崇拝の象徴は仏への信仰となって現在まで続いています。


  出羽三山も以前は、神と仏が習合して信仰の対象となっていましたが、明治維新の神仏分離で神だけ出羽三山神社として残し、仏の方は山麓手向の荒澤寺正善院(コウタクジショウゼンイン)などにわびしく息づいています。

  しかし、湯殿は違っています。表面は神道を装っていますが、中味は神と仏が混淆(コンコウ)して共存しているのです。

 

  “神”は正面に祀る御神体であり、それは茶褐色の巨岩で、頭部から熱湯が吹き出しています。この巨岩がなぜ神なのでしょうか。日本人は、遠い縄文時代より自然を畏敬し、自然を崇拝し、自然を神と考えてきた民族で、自然の象徴を山と思い、さらに山が凝集されたものを岩と思い、岩を神をして祀ったのです。ですから、湯殿の茶褐色の巨岩は、大和三輪山(ヤマトミワヤマ)の大神(オオカミ)神社の御神体である磐座(イワクラ)なのです。

    “仏”は磐座の左方にある祖霊を祀る祠(ホコラ)と、水の滴る岩に宿ります。小さな塔婆(トウバ)に死者の名を書いて、五色の梵天とともに祠に納め、岩に祖霊の依った人形の紙を貼り、清水で清めて供養します。ここは仏である祖霊と、それを供養する人々の心が出会い結ぶ所なのです。

 

   このように湯殿は、古来の原始信仰の二つの柱が見事に残存している稀少な霊地であり、信仰の地です。それは原始信仰のメッカと言っても過言ではないでしょう。

   湯殿山大権現は大日如来であり、金剛界と胎蔵界に分かれます。

  金剛は智をあらわして煩悩を打ち砕き、胎蔵は理をあらわして、あたかも母胎に子を宿すごとく諸法を護持します。

金剛界曼荼羅<掲載画像の無断使用はお断りします>
胎蔵界曼荼羅<掲載画像の無断使用はお断りします>

参考文献 : 畠山 弘「湯殿山と即身仏」爈の会•2001

               東北芸術工科大学東北文化センター「日本人の魂をたずねて」 

         千歳 栄(同センター運営委員長)


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