羽黒山修験本宗 羽黒山荒澤寺正善院

◆◆修験道の極意◆◆

   修験道の極意

   山は神そのもの、神霊の宿る聖地、新たな生命を育む霊地。その霊地(である山)に籠り、山から谷へと巡拝、※抖擻(とそう)し、刻苦修行することにより、穢れを除き、迷いを離れ、仏道を成ずる(生きとし、生けるものの為、救いを差し伸べられる人間になる)ことが出来る。

   ※抖擻(とそう)とは、山々を駆ける際、雑念を払い一身に六根清浄を唱えながら、山々を駆け心身を清浄する行です。

 

 
秋の峰入  <掲載写真の無断使用はお断りします>
 

◆◆擬死再生をモチーフとした十界修行◆◆

   現在・過去・未来

   峰入修行には一の宿、二の宿、三の宿の三段階があります。

現在の生における苦しみの関を渡り、過去の世から持ち越した業の関を越え、未来世における輪廻転生の関を脱し、常寂光の浄土に安住する身となります。

   すなわち

      一の宿   過去世を乗り越え

      二の宿   現在の此岸から彼岸に渡り

      三の宿   未来の生死海を渡って

過去・現在・未来の三世を超越し、永遠の生命を得るための修行を行います。

 

 

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◆◆死と再生の儀礼◆◆

   修験者は山という他界に足を踏み入れるにあたり、煩悩や業に汚れたこの身を捨てる。

   一度死んで生まれ変わり、清浄無垢への転換をはかる。

   儀礼は、自らの葬儀から始まり父母の和合をもって受胎とし、母胎へと宿る。
   成仏(仏に成る為)の過程である十界修行を実践することにより、胎内で成長しつつある新しい肉体と霊魂にまとわりつく煩悩や業を自身で清める。
   この身のままに大日如来と一体になり、慈悲溢れる菩薩となって人間界に出生するという擬死再生を顕す。


十界―――地獄・飢餓・畜生・修羅・人間・天上・声聞・縁覚・菩薩・仏

 

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◆◆羽黒修験の目指すもの◆◆

修験道が生み出した山岳曼荼羅

   仏の世界を空想の中に留めず、現実の山々に投影したものを山岳曼荼羅と言い、この世(宇宙そのもの)が仏の世界であると感じ、身をもって体験することにより、生き方を見いだしていく道が修験道と言える。
     修験道の世界である、宇宙曼荼羅・五輪法界・キャ・カ・ラ・バ・アの世界

自然の一部として配置―――五大(地水火風空)・五色(黄黒赤白青)・季節・方角

人間の内部に配置―――――五体(頭両手両足)・五臓(脾腎心肺肝)・五識

両方に配置――――――――五仏・五如来

   これにより、人間の内も外もこの世の全てが仏の慈悲や智慧の働きによる、絶え間ない巡りであることを教えている。

気付き

   五輪法界・曼荼羅の宇宙観から、すべてが恵みと気付き自然の過酷な姿も未知の恐怖も何もかもありのまま受け入れることが出来る。

   即ち、荒ぶる神(過酷な大自然の脅威)の中に仏の慈悲(大自然の恵み・癒しの力)を見出す――本地垂迹(ほんちすいじゃく)・権現の誕生

仏の慈悲が人間の内にも繋がっていると気付き、初めて人間が自然の一部だと知り、生・老・病・死の苦しみも、また喜びも、ありのままの自然の大きな巡りとして受け入れることが出来る。

   大自然の一部として生かされている己に気付いて、他者と自己との繋がりを知り、その隔たりを超えたとき利他(他のために生きること)の生き方が人間の生きる道であることを知る即ち、仏の道・菩薩行の実践。

   仏教伝来からすぐに、それを山に持込み、大自然の姿を仏の教えを持った目で見、感じ、その慈悲と恵みに生かされていると理解し他を利することに目覚めよという修験道の教え仏教の教えに支えられて育った日本独自の信仰の形態、むしろ、日本の仏教というものは結局、修験道でしかなかったと言えるほどの影響力そして、即身成仏の世界へと展開し、大自然の中で体験を通して学びながら実践しようという信仰の道が修験道、言い換えれば自ずと大自然をかけがえのないものとして大切にする心を育てる

「草木国土悉皆成仏(そうもくこくどしっかいじょうぶつ)」

―― 荒澤寺で修行する者への大切な教え

峰入りでは
   密教の宇宙を自然の山に置き換えて(山岳曼荼羅)、大自然の曼荼羅を身を持って体験今の自分でしかない私達が、曼荼羅の示唆に従いこの行を通じ自分であると同時に、自然界のあらゆるものとして存在、草になり木になり、動物になる大きな想像力(観じる力)を持ち、それらを思いやり、拝む心を持った魂に生まれ変わる。

修験道思想、基本的には

   宇宙は生命の本源であり、大日如来・不動明王等はその顕現とされ人間もその一分身にすぎない。

   人間は本来、神聖な生命力を持った小宇宙であり、大宇宙に即して動く善なる存在。

◆◆羽黒修験の究極の目的◆◆

   宇宙の利を悟ための山岳修行によって大日如来や不動明王という普遍的な神格と同化能力を体得し、梵我一如(ぼんがいちにょ)・即身成仏(そくしんじょうぶつ)・自身即仏(じしんそくぶつ)となり、「衆生を成就し仏国土を浄むること」
それ故に修行は、自己の浄化・聖性の開発・聖との同化・聖力の獲得・聖力による救済しかし、聖力の獲得と救済が過大視される今日、奇妙な呪法や超能力者とは一線を画す。

   加持祈祷は本来、人間の素直な祈りや願いの成就と同時に、人々心の向上を目指すもの

祈りの心は人間の精神力を強め、人と自然の調和・連帯感を与える「孤独・絶望からの脱出を目指し。人々に生きる勇気を与えること」これこそ修験道が庶民の共通の光となり得るもの修験道は一歩一歩着実に歩んでいくことを尊ぶ。 

 

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参考文献:羽黒山修験本宗 羽黒山荒澤寺正善院 島津弘海「千年の修験羽黒山伏の世界」新宿書房・2005年より抜粋


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