◆◆六十里越街道◆◆
庄内地方と内陸を結ぶ「六十里越街道」は、1200年前の昔から開かれたと言われています。鶴岡から松根、十王峠、大網、塞ノ神峠、田麦俣を経て大岫峠(おおぐきどうげ)を越え、志津、本道寺、寒河江を通り山形に至る険しい山岳道でした。
大勢の行者や旅人たちが行き交って踏みしめられた道は、明治30年代になって新道が開通すると、表舞台から退きました。沿道には今も、時代の名残をとどめる数多くの史跡が苔むしてひっそりと眠っています。
山岳信仰が盛んだった室町・江戸時代には、湯殿山を目指し、東北・関東の各地から訪れる「道者」(参拝者)たちでにぎわったといいます。また戦国時代には軍馬が足跡を刻み、藩政時代には参勤交代にも利用されたという記録が残っています。さらに、庄内からは魚介類やローソク、内陸からは紅花や真綿、豆や葉タバコなどを背負って運ぶ人たちも行き来していました。
時代の移り変わりを風に感じながら、幾千幾万の足跡を記録している古道を体験してみませんか。
◆◆弘法の渡し◆◆
湯殿山への玄関口。古木の下には弘法大師が祀られている。松の根元には旅の安全を見守る「青面金剛童子」の碑があり、ここが追分でした。庄内藩では、六十里越街道の松根と大網を宿駅と定め、公用や一般旅行者などの物資の輸送のため荷馬や人夫や駕籠などが常備されていました。
◆◆本明寺◆◆
◆◆注連寺◆◆
◆◆大日坊◆◆
◆◆庚申塔◆◆
◆◆皇壇ノ杉◆◆
◆◆多層民家◆◆
豪雪地帯の風土と、狭い谷あいの土地柄での生活から、独特の造りを持つ美しい住宅「多層民家」が今も残っています。六十里越街道の重要な中継地であった田麦俣は、多くの旅人を泊めた宿場の村でした。江戸時代はおよそ30軒のうち7~8軒の旅籠があり、宿の灯火が絶えませんでした。
◆◆花ノ木坂◆◆
◆◆小掘抜・大掘抜(コホノギ・オホノギ)◆◆
◆◆遥拝所◆◆
◆◆一本橋の湯殿山碑◆◆
◆◆湯殿山神社◆◆
参考 : あさひむら観光協会 パンフレット
Cradle[クレードル]出羽庄内地域文化情報誌
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